大統領と水泳

6月10日付Swimming World。

フランクリン・D・ローズベルトJr.は、かつて言った。「水泳とは素晴らしいものだと思う」。フランクリン・D・ローズベルト(第32代合衆国大統領は、生涯を通して頻繁に泳いだ。だが水泳を楽しんでいた最高司令官(大統領)はFDRだけではない。かなりの頻度で泳いでいた大統領は、競技レベルにせよレジャーにせよ大勢いるのだ。ford-swimming.jpg
大統領の政治的歴史は繰り返し語られるが、彼らの水泳史はあまり知られていない。

ホワイトハウス・プール

ホワイトハウスには1930年代以降、異なる二つのプールがあった。一つ目は1933年に導入された屋内プールで、FDRが使った。大統領に就任する前、FDRはポリオ(白灰脊髄炎)を患っていて、これが原因で彼の脚は生涯不自由であった。FDRはセラピーの一環として水泳をしていたのだ。彼が大統領に就任すると、ニューヨーク・デイリーニューズ紙がキャンペーンを展開し、ホワイトハウスにプールを造るための基金を募った。プールは1933年6月2日(本能寺の変!)に正式にオープンとなり、場所はホワイトハウス(大統領一家が暮らすところ)とウエストウイング(執務室や記者会見室のあるところ)の中間に位置していた。white-house-pool-700x500.jpg
このプールを頻繁に利用した人の中に、ハリー・トルーマン(33代大統領)がいた。彼はスタッフを楽しませるために、自らを余興として泳いで見せた。ジョン・F・ケネディ(35代)は、持病の腰痛を和らげるために泳いだが、プールに招いた客の中には、妻以外の女性がたくさんいた。リンドン・ベインズ・ジョンソン(36代)は素っ裸で泳いだ。彼は有名な福音派の牧師、ビリー・グレアムを招待して泳がせた。

リチャード・ニクソン(37代)の頃になると、メディアの数が増えてきたために、新たな記者会見室を作る必要性が出てきた。ニクソンは水泳よりもボウリングのほうが好きで、プールの上を覆う形で会見室を作った。だがプールを完全につぶすことはせず、修復が可能だった。現在では、会見室の下にあるプールの壁に、ホワイトハウスの特別な招待客が残していったサインを見ることができる。

ニクソンとは対照的に、後を継いだジェラルド・フォードは、毎日泳ぐほどの熱烈なスイマーだった。フォードは当初、会見室を移動させてFDRプールを復活させようと計画したが、費用が問題となった。かわりに彼は屋外プールを設置し、今でも大統領一家が利用し続けている。現在では更衣室や風呂も併設されている。
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素っ裸の大統領

我が国のリーダーの多くが水泳を楽しんだが、中には水着なしでそれを満喫する人もいた。ジョン・クインシー・アダムスは水泳好きで知られた初の大統領だが、おそらく彼は、ポトマック川で裸で泳ぐ人の中で最も有名な人物であろう。アダムスは毎朝5時に起床し(夏場は4時半)、焚火をし、聖書を読み、泳ぎに行くというのが日課だった。パワフルな泳ぎで、まさしく水を得た魚のようだということでも知られていた。著書で彼は水泳について述べている。「水泳が最高に健康に良いことに気付いたのだ。以来、体の不調を覚えたことは一度もない」。

アダムスの朝の水泳は、ワシントン界隈では知られた話だった。女性ジャーナリストの先駆的存在だったアンネ・ロヨールは大統領にインタビューを試みた。彼女はアダムスが泳いでいる間にポトマック河畔に行き、大統領が脱いだ衣服の上に座り込んだ。アダムスがすべての質問に答えてくれるまで、彼女はそこをどかなかった。かくしてロヨールは大統領にインタビューをした初の女性記者となったのである。

アダムスの後継となったアンドリュー・ジャクソンもヌードスイミングを楽しんだが、泳いだ後は調べ物をしたり、ホワイトハウスの草むしりをしたりして過ごした(もちろん、ちゃんと服を着て)。

テディ(セオドア)・ローズベルトやケネディも裸で泳いだ。この二人は誰彼構わずプールに招いて一緒に泳ぐことで有名で、スタッフであろうと外交官であろうとお構いなしだった。
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テニス内閣

読者諸氏が、高校で受けた米国史の授業を覚えているなら、テディ・ローズベルトが米西戦争でラフ・ライダーズ(米国発の志願兵団)を率いて名声を得たことはご存じであろう。将来の大統領はつねに挑戦を求め、就任してからも野心と勇敢さを持ち続けていた。

大統領任期中、彼はテニス内閣として知られるものを組織したが、もともとはテニスクラブとしてはじまった。テニスに少々飽きていたテディは、他のものに目を向けた。彼とテニス内閣のメンバーは、地図上に印をつけ、その場所に向かって、途中に崖があろうが川があろうが真っすぐに進むという遊びを始めた。このアドベンチャーはしばしば水泳を伴うもので、ロック・クリークの川に氷が浮かんでいても、彼らは泳いで渡るのであった。

あとのほうのローズベルト、FDRはそれほどの勇敢さも能力もなかったが、似たようなイベントをした。スタッグ・パーティ(男ばかりのパーティ)と呼ばれるものがそれで、目的は民主党議員たちを味方に引き入れることだった。このパーティの中身は、釣り、ハトが獲物のクレー射撃、そして裸の水泳だった。

競技レベルのスイマー・・・

生涯で競技レベルの水泳をした大統領が二人いた。ケネディとロナルド・レーガンは、それぞれの大学の水泳選手として活躍した。
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<後列左から3人目がJFK>

レーガンは俳優としてのほうが有名だが、彼はエウレカ大学水泳部の主将であった。3年生で主将を務めていたとき、コーチが脳卒中で倒れた。大学の学長はレーガンに、選手を続けながらコーチをしてくれと頼んだ。その年の大学選手権、エウレカ大の背泳ぎの選手が、150ヤード・メドレーリレーに遅刻した(当時バタフライと平泳ぎは未分化だった)。レーガンは自分が背泳ぎとフリースタイルの両方を泳ぐと決めたが、他チームのコーチたちは激怒した。だが当時は一人が二つのレグを泳ぐことはルール違反ではなく、レーガンは前年最下位だったチームを4位にまで押し上げた。

一方、ケネディはハーバード大の水泳部に所属していた。初めはフットボールをしていたが、自分には向いていないとわかって水泳に転向した。彼は背泳ぎが得意だったが、当時のコーチによれば身体が華奢で、水に沈みがちだった。特筆すべきは、ケネディはハーバード大が対抗戦でイェール大を初めて破った時のメンバーであったことだ。
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<ロナルド・レーガン>

ライフセーバー

競泳だけでなく、レーガンもケネディも、水の中の才能を人命救助に役立てた。二人とも人助けをして新聞紙面を飾っている。

レーガンは地元イリノイ州ディクソンのロックリバーで、1927年から32年までライフセーバーとして活動した。この間、彼は77人の命を救った。だが地元の人々は、若い女性たちがハンサムなレーガンに助けてほしくてわざと溺れたのだとジョークを言った。当時ライフガードとして使っていたイスは、地元ディクソンの博物館に展示されている。

ケネディも人命救助をしたが、それは第二次世界大戦の従軍中の話だった。1943年、海軍中尉だったケネディは、ソロモン諸島においてPT-109(哨戒魚雷艇)の艇長を任された。その年の夏、彼の艇は日本軍によって沈められた。ケネディは水泳の技術を生かして、乗員を艇の残骸の「安全な場所」に移した。翌朝、クルーを率いて、3マイル離れた島に泳いで向かった。ケネディは救命胴衣を着てロープを口にくわえ、腕で水をかいて進んだのであった。数日後、水と食料が底をつくと、彼は別の島まで泳いで、ココナッツの木を見つけた。この功績により、ケネディは海軍海兵・海兵隊メダル(戦闘以外の英雄的功績に贈られる、最高ランクの勲章)とパープルハート〈戦争で負傷した兵士に贈られる)を受賞した。

近年の大統領は水泳にまつわる話というのが無いが、泳いでいる写真は、ホワイトハウスでもバカンスでも多く撮影されている。くわえて、五輪チームが大会終了後にホワイトハウスを訪問するのが恒例となり、数々の偉大な米国のスイマーが大統領と会っている。我が国のリーダーたちが、水泳というスポーツを理解し、敬意を持っているという歴史には、ただ感謝するのみである。

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