終わった途端に4年後早よ来い
いやあ、冬の五輪って、いいよね。
以下、3月1日付のTIME。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バンクーバー・オリンピックの開幕は、これ以上ないくらい重苦しいものだった。2月12日、あの金曜日。オリンピックの理想とされる「より速く、より高く、より強く」を信じる人も、あざ笑う人も、その心は打ち砕かれた。グルジアのリュージュ選手、ノダル・クマリタシビリが練習滑走で激突事故を起こし、死亡した。
その日の夜に行なわれた開会式にはミソがついた。この悲劇によって、世界的なスポーツにおいて、非道なリスクを売り物にするという姿勢が問題となってゆくだろう。
事故のショックが薄らいだ後――これが現実だ。私たちはこういう悲劇をすぐに忘れがちである――バンクーバー大会は最高の瞬間と、理解不能な最低のシーンを提供してくれた。まあ、どの五輪でもそうなのだが。今になって振り返れば、雪が足りなくてヘリコプターで運びこんだとか、整氷マシンが壊れたとか、序盤のドタバタはバカみたいである。私たちは皆、ジョアニー・ロシェットの姿を心に留めるだろう。カナダのフィギュアスケーターは、母を心臓発作で亡くした2日後にトリプルアクセルとトリプルトウループを決め、本当の勇気を示してくれた。
(こう言っちゃなんだが、カルーセル麻紀に似てますな)
私たちはスヴェン・クラマーに同情するだろう。オランダのスピードスケートのスターは、1万mの拷問のようなレースでレーン交換を間違え、金メダルが幻と消えてしまった。
これは何の罪もない男が些細な技術的ミスで牢獄へ入れられてしまうようなものである(クラマーはコーチが間違った指示を出したせいで失格になった)。
マリット・ビヨルゲンにちょっと恋をした。えっ、誰だって?彼女はノルウェーのクロスカントリー選手で、金3、銀1、銅1のメダルを獲得した。この競技のことで頭がいっぱいのお国は大騒ぎだ。
ほとんどのアメリカ人は、五輪をアメリカ中心の偏狭なレンズを通してしか見ないという点で、罪深い。そこでビヨルゲンである。彼女は文句なしオリンピックの女王だ。そして、シモン・アマン。スイスのスキージャンパーは五輪での3つ目と4つ目の金メダルに輝き、同種目では史上最多となった。
そしてそして、フィギュアスケートのキム・ヨナだ。韓国の天才少女は母国全体を熱狂させ、この競技の新たなスタンダードを築いた。
これらの国々はもちろん素晴らしかったが、今度はぜひ驚くべき進歩を讃えよう。チームUSAは大活躍であった。アメリカはトータルで37のメダルを手にしたが、これは冬季五輪史上1カ国としては最多である。大きな期待が寄せられた面々、スノーボードのショーン・ホワイト、
アルペン滑降のリンジー・ボン、
スピードスケートのシャニー・デイビス、
男子フィギュアのエヴァン・ライサチェクらは、すべて金メダルをもたらした。
アポロ・オーノのメダル獲得総数は8個となり、アメリカ選手としては冬季五輪史上最多となった。
トリノでは邪魔者扱いされたボディ・ミラーは引退から現役復帰し、期待が高まれば、たとえ飲んだくれであっても、天賦の才能に恵まれたスキーヤーは金、銀、銅のメダルをとれることを証明した。
なぜアメリカ勢がこれほど活躍したのか?
「1988年の長野で初めて五輪に出たけど、あのとき僕らは2流チームだと思ったよ」
ノルディック複合アメリカ代表、ビル・デモングが言う。デモングは複合個人で金メダルを獲得し、同僚のジョニー・スピレーンが2つの銀を獲得。アメリカは団体戦でも銀だった。デモングたちのおかげで、いまや私たちアメリカ人はノルディック・コンバインド(複合)がスキージャンプとクロスカントリーを一緒にした競技であり、けっしてスカンジナビア料理店のメニューではないことを知っている。
「今度の大会には色んな競技に選手が大勢出ているし、メダルを獲らないと満足できないって感じだね」
デモングは閉会式で星条旗を広げた。
「これがやりたかったんだよ」
今大会をランキングしてください。トリノよりは良かったが、レークプラシッドに比べると強烈な瞬間がなかったか(80年の大会は地元アメリカがアイスホッケーに学生の寄せ集めでのぞみ、鬼コーチが合宿でシゴキまくって鍛え、当時無敵を誇ったソビエトを倒して優勝したのであった)?ソルトレークよりは頑張ったが、リレハンメルに比べるとタブロイド紙が喜びそうなネタに乏しかったか(リレハンメルは女子フィギュアでハーディングのケリガンの騒動があった)?まあこんな論争もあるからスポーツは面白いのだが、10年かそれ以上たったら、一つだけ思い出して欲しい。バンクーバーはオープニングはひどかったが、エンディングは最高だった、と。
2月28日、アメリカとカナダは、ホッケーの1試合を戦った。カナダでは、ホッケーとは国を一つにまとめるものであり、アメリカではそんなスポーツは、ない。カナダが勝てば今大会14個目の金メダルとなる試合。もしも、南隣の傲岸不遜なライバルに、地元で敗れるようなことになれば、バンクーバーの通りは危険地帯と化したであろう。
そういうことは脇において、選手たちの素晴らしい試合に拍手を送ろう。彼らは何百万ドルも稼ぐプロだが、凍ったミネソタの湖やマニトバ(カナダの真ん中へんの州)の池でパックを追いかける子供たちと同じスピリットでプレーした。
パスは速く、チェックは激しく、キーパーは見事なセーブを見せた。残り30秒、カナダが2-1でリード。カナダ・ホッケー・プレイスの1万8千人、街の通りを埋め尽くした数十万人、そしてテレビの前の北米の数千万人が、感じた。カナダが男子ホッケーを制し、悲願が成る、と。
だが、しかし、一本のシュートが、カナダのゴールキーパー(英語ではgoaltenderと言うが)ロベルト・ルオンゴのプロテクターをかすめた。ルオンゴは地元バンクーバー・カナックスでプレーする選手であり、試合中は好プレーのたびファンは「ルーーーーー!」の大合唱であった。
が、アメリカのザック・パリゼがパックに殺到し、リバウンドを押し込んで同点!
マジですか?
アナタは奇跡を信じますか?
延長に入り、アメリカ人たちは試合の流れを完全に支配した。
「自分らが勝つと思ったよ、ホントに」
ディフェンスマンのジャック・ジョンソンは言った。
延長が始まる前、私はファンと会話をしようと思い、コンコースへ行った。土壇場で金メダルが手からすり抜けた時の、カナダ人たちの集団パニックをこの眼で見たかったのである。だが、一つ忘れていた。
カナダ人はホッケーを知っているのである。
彼らは、試合の最終盤、劣勢のチームがキーパーを引っ込めて6人攻撃を仕掛け、猛烈なプレッシャーをかけてくることを知っている。そしてそれはしばしば成功するのである。
実際コンコースに出てみたら、泣いている人は誰もいなかったし、通路で頭を抱えている人もいなかった。
髪の毛をかきむしって嘆く必要などないというのか?
延長に入って8分近く、カナダチームでおそらく2番目に愛されているスターのジェローム・イギンラが、NO.1スターの、現代の「グレート・ワン」シドニー・クロスビーに絶妙なパスを送った。
クロスビー、シュート!
アメリカのキーパー、ライアン・ミラーは今大会を通じて素晴らしく、決勝が終わる前にMVPが決まっていた。
クロスビーのシュートが、ミラーの脇をすり抜け、ネットに突き刺さった!
イギンラからクロスビーで金メダル?
それ、マジですか?
「これを見た子供たちが、クロスビーみたいになりたい、オリンピックの決勝でサヨナラゴールを決めたいって夢見ながら成長するんだ」
カナダのディフェンスマン、クリス・プロンガーが言った。
「とても素晴らしいことだよ」
カナダは大会序盤、「表彰台をわが手に」のスローガンを叫んだわりには、メダル獲得に苦しんだ。が、エンディングはまさしく完璧であった。私はこの記事を、寒々とした、観衆のいなくなった会場で書いている(なぜ街に出てお祭り騒ぎに加わらないかのかと言いたいのでしょう?)。いるのはボランティアの人たちだけ。彼らは迷子の案内をし、イライラした客の文句を聞き、暖かいサービスをしてくれた。彼らが2階席で一団をなし、飛び跳ねながら国歌"Oh Canada!"を合唱している。それぐらいは楽しむ権利が彼らにはある。その彼らをを見ることができた世界は幸運だ。私たちも、バンクーバー・オリンピックを見ることができて幸運であった。
以下、3月1日付のTIME。
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バンクーバー・オリンピックの開幕は、これ以上ないくらい重苦しいものだった。2月12日、あの金曜日。オリンピックの理想とされる「より速く、より高く、より強く」を信じる人も、あざ笑う人も、その心は打ち砕かれた。グルジアのリュージュ選手、ノダル・クマリタシビリが練習滑走で激突事故を起こし、死亡した。
その日の夜に行なわれた開会式にはミソがついた。この悲劇によって、世界的なスポーツにおいて、非道なリスクを売り物にするという姿勢が問題となってゆくだろう。
事故のショックが薄らいだ後――これが現実だ。私たちはこういう悲劇をすぐに忘れがちである――バンクーバー大会は最高の瞬間と、理解不能な最低のシーンを提供してくれた。まあ、どの五輪でもそうなのだが。今になって振り返れば、雪が足りなくてヘリコプターで運びこんだとか、整氷マシンが壊れたとか、序盤のドタバタはバカみたいである。私たちは皆、ジョアニー・ロシェットの姿を心に留めるだろう。カナダのフィギュアスケーターは、母を心臓発作で亡くした2日後にトリプルアクセルとトリプルトウループを決め、本当の勇気を示してくれた。
(こう言っちゃなんだが、カルーセル麻紀に似てますな)
私たちはスヴェン・クラマーに同情するだろう。オランダのスピードスケートのスターは、1万mの拷問のようなレースでレーン交換を間違え、金メダルが幻と消えてしまった。
これは何の罪もない男が些細な技術的ミスで牢獄へ入れられてしまうようなものである(クラマーはコーチが間違った指示を出したせいで失格になった)。
マリット・ビヨルゲンにちょっと恋をした。えっ、誰だって?彼女はノルウェーのクロスカントリー選手で、金3、銀1、銅1のメダルを獲得した。この競技のことで頭がいっぱいのお国は大騒ぎだ。
ほとんどのアメリカ人は、五輪をアメリカ中心の偏狭なレンズを通してしか見ないという点で、罪深い。そこでビヨルゲンである。彼女は文句なしオリンピックの女王だ。そして、シモン・アマン。スイスのスキージャンパーは五輪での3つ目と4つ目の金メダルに輝き、同種目では史上最多となった。
そしてそして、フィギュアスケートのキム・ヨナだ。韓国の天才少女は母国全体を熱狂させ、この競技の新たなスタンダードを築いた。
これらの国々はもちろん素晴らしかったが、今度はぜひ驚くべき進歩を讃えよう。チームUSAは大活躍であった。アメリカはトータルで37のメダルを手にしたが、これは冬季五輪史上1カ国としては最多である。大きな期待が寄せられた面々、スノーボードのショーン・ホワイト、
アルペン滑降のリンジー・ボン、
スピードスケートのシャニー・デイビス、
男子フィギュアのエヴァン・ライサチェクらは、すべて金メダルをもたらした。
アポロ・オーノのメダル獲得総数は8個となり、アメリカ選手としては冬季五輪史上最多となった。
トリノでは邪魔者扱いされたボディ・ミラーは引退から現役復帰し、期待が高まれば、たとえ飲んだくれであっても、天賦の才能に恵まれたスキーヤーは金、銀、銅のメダルをとれることを証明した。
なぜアメリカ勢がこれほど活躍したのか?
「1988年の長野で初めて五輪に出たけど、あのとき僕らは2流チームだと思ったよ」
ノルディック複合アメリカ代表、ビル・デモングが言う。デモングは複合個人で金メダルを獲得し、同僚のジョニー・スピレーンが2つの銀を獲得。アメリカは団体戦でも銀だった。デモングたちのおかげで、いまや私たちアメリカ人はノルディック・コンバインド(複合)がスキージャンプとクロスカントリーを一緒にした競技であり、けっしてスカンジナビア料理店のメニューではないことを知っている。
「今度の大会には色んな競技に選手が大勢出ているし、メダルを獲らないと満足できないって感じだね」
デモングは閉会式で星条旗を広げた。
「これがやりたかったんだよ」
今大会をランキングしてください。トリノよりは良かったが、レークプラシッドに比べると強烈な瞬間がなかったか(80年の大会は地元アメリカがアイスホッケーに学生の寄せ集めでのぞみ、鬼コーチが合宿でシゴキまくって鍛え、当時無敵を誇ったソビエトを倒して優勝したのであった)?ソルトレークよりは頑張ったが、リレハンメルに比べるとタブロイド紙が喜びそうなネタに乏しかったか(リレハンメルは女子フィギュアでハーディングのケリガンの騒動があった)?まあこんな論争もあるからスポーツは面白いのだが、10年かそれ以上たったら、一つだけ思い出して欲しい。バンクーバーはオープニングはひどかったが、エンディングは最高だった、と。
2月28日、アメリカとカナダは、ホッケーの1試合を戦った。カナダでは、ホッケーとは国を一つにまとめるものであり、アメリカではそんなスポーツは、ない。カナダが勝てば今大会14個目の金メダルとなる試合。もしも、南隣の傲岸不遜なライバルに、地元で敗れるようなことになれば、バンクーバーの通りは危険地帯と化したであろう。
そういうことは脇において、選手たちの素晴らしい試合に拍手を送ろう。彼らは何百万ドルも稼ぐプロだが、凍ったミネソタの湖やマニトバ(カナダの真ん中へんの州)の池でパックを追いかける子供たちと同じスピリットでプレーした。
パスは速く、チェックは激しく、キーパーは見事なセーブを見せた。残り30秒、カナダが2-1でリード。カナダ・ホッケー・プレイスの1万8千人、街の通りを埋め尽くした数十万人、そしてテレビの前の北米の数千万人が、感じた。カナダが男子ホッケーを制し、悲願が成る、と。
だが、しかし、一本のシュートが、カナダのゴールキーパー(英語ではgoaltenderと言うが)ロベルト・ルオンゴのプロテクターをかすめた。ルオンゴは地元バンクーバー・カナックスでプレーする選手であり、試合中は好プレーのたびファンは「ルーーーーー!」の大合唱であった。
が、アメリカのザック・パリゼがパックに殺到し、リバウンドを押し込んで同点!
マジですか?
アナタは奇跡を信じますか?
延長に入り、アメリカ人たちは試合の流れを完全に支配した。
「自分らが勝つと思ったよ、ホントに」
ディフェンスマンのジャック・ジョンソンは言った。
延長が始まる前、私はファンと会話をしようと思い、コンコースへ行った。土壇場で金メダルが手からすり抜けた時の、カナダ人たちの集団パニックをこの眼で見たかったのである。だが、一つ忘れていた。
カナダ人はホッケーを知っているのである。
彼らは、試合の最終盤、劣勢のチームがキーパーを引っ込めて6人攻撃を仕掛け、猛烈なプレッシャーをかけてくることを知っている。そしてそれはしばしば成功するのである。
実際コンコースに出てみたら、泣いている人は誰もいなかったし、通路で頭を抱えている人もいなかった。
髪の毛をかきむしって嘆く必要などないというのか?
延長に入って8分近く、カナダチームでおそらく2番目に愛されているスターのジェローム・イギンラが、NO.1スターの、現代の「グレート・ワン」シドニー・クロスビーに絶妙なパスを送った。
クロスビー、シュート!
アメリカのキーパー、ライアン・ミラーは今大会を通じて素晴らしく、決勝が終わる前にMVPが決まっていた。
クロスビーのシュートが、ミラーの脇をすり抜け、ネットに突き刺さった!
イギンラからクロスビーで金メダル?
それ、マジですか?
「これを見た子供たちが、クロスビーみたいになりたい、オリンピックの決勝でサヨナラゴールを決めたいって夢見ながら成長するんだ」
カナダのディフェンスマン、クリス・プロンガーが言った。
「とても素晴らしいことだよ」
カナダは大会序盤、「表彰台をわが手に」のスローガンを叫んだわりには、メダル獲得に苦しんだ。が、エンディングはまさしく完璧であった。私はこの記事を、寒々とした、観衆のいなくなった会場で書いている(なぜ街に出てお祭り騒ぎに加わらないかのかと言いたいのでしょう?)。いるのはボランティアの人たちだけ。彼らは迷子の案内をし、イライラした客の文句を聞き、暖かいサービスをしてくれた。彼らが2階席で一団をなし、飛び跳ねながら国歌"Oh Canada!"を合唱している。それぐらいは楽しむ権利が彼らにはある。その彼らをを見ることができた世界は幸運だ。私たちも、バンクーバー・オリンピックを見ることができて幸運であった。
























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