財前くに郎の 教授になってもヒラ泳ぎ

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<<   作成日時 : 2009/09/04 22:04   >>

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いやあ、みんな大丈夫かえ?
まあ罹患しないように努めるのも大事だけどさ、普段から飯モリモリ食ってよく寝て体力をつけとくのも忘れんなよ。重篤にならんようにさ。

以下、9月1日付New York Times。

―――黒死病(ペスト)は誰のせいだったのか?
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中世ヨーロッパでは、ユダヤ人がたびたびその原因だとされ、ひどい目に逢った。「ユダヤ病」と名前がつかなかったのが不思議なくらいである。
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1348年から1351年にかけてのヨーロッパにおけるパンデミック(世界的大流行)の最盛期、200を超えるユダヤのコミュニティが皆殺しにされた。病気の感染源だと言われ、あるいは彼らが井戸に毒を投げ込んだのだというデマまで流れた。

2009年の豚インフルエンザは、そこまで伝染性が強くないし、強毒でもなかった。しかし、パンデミックの歴史を紐解くと、誰かが責めを負うことになっている。最初はメキシコで流行し、他国に住むメキシコ人が攻撃され、アメリカの政治家は国境封鎖を求めた。

5月、1人のメキシコ人サッカー選手が相手チリの選手に「らい病野郎」と呼ばれ、仕返しに唾を吐きかけた。チリのニュースメディアは、メキシコ選手を細菌兵器だと非難した。6月、アルゼンチン人たちがチリ人のバスに、奴らが病気を持ち込んでいると言って石を投げつけた。アルゼンチンでの感染件数が急増し、ヨーロッパ各国は渡航を控えるように自国民に勧告した。

アルバート・アインシュタイン医科大学で感染症の主任をつとめるリース・アン・ピロフスキ博士は、伝染病の歴史の専門家でもある。
「病気の流行が人間を襲ったときは、なぜこれほど強力なのかを理解する必要があります。いきおい、犯人探しが行なわれるのは避けられないわけです」

最近公開されたものに「エルフルトの秘宝」がある。マンハッタンにあるエシバ(=タルムード学院:ユダヤの教師ラビになるための学校)大学博物館には、タイムリーではあるが憂鬱となる警告の品が展示されている。600以上にものぼる金細工のなかには14世紀の絢爛たる結婚指輪もあり、これらはドイツのエルフルトにあった、ユダヤ人居住区を発掘調査して見つかったものである。
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また3,141個の銀製コインもあり、その多くには王家の肖像が刻まれている。最後に描かれた王は1350年に死んだ。

博物館の展示部副部長、ガブリエル・M・ゴールドスタインは、これらの秘蔵物は1349年に埋められたのだと強く主張する。ペストがエルフルトに襲来した年である。

「なぜこれほどの投資目録を地中に埋めて700年も放っておいたのでしょう?エルフルトのユダヤに対して、激しい暴動が起こりました。記録によると、殺されたのは100人とも1000人とも言われています。誰かが埋めて隠し、当人が死んでしまったために出てこなかったというわけです」

ニューヨーク大学医学部のマーティン・J・ブラスター博士は、ペストでなぜユダヤがスケープゴート(いけにえ、身代わり=贖罪のヤギ。古代ユダヤで、ヤギに人々の罪を乗せて、荒野に放ったとか何とか)にされたかについて、面白い仮説を提示する。
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ユダヤ人たちは他の民族に比べ、生き残った者が多かった。ペストが大流行したのが春で、ユダヤ人にとってはパスオーバー(過ぎ越しの祭り:エジプトからの開放を記念してパンを焼いて食う)の季節であり、パンを焼くために穀物の貯蔵が家々からなくなっていた。そのため病気を媒介するネズミがやってこなかったと言うのである(わかる?)。
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しかし、パンデミックというのは常に原因が複雑である。歴史家で、『伝染病と人間』の著書もあるウィリアム・H・マクニールは、究極的な責任をたどると、チンギス・ハーンの孫モンケ・ハーンに行き着くと言う。
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モンケ・ハーンは1252年に現在のビルマ(ミャンマー)まで軍を送り、そこで齧歯類(げっしるい:歯でガリガリ齧るネズミとかリスとかの仲間)に触れ、齧歯類のノミがエルジニア症の菌を持っていた。軍はエルジニアの菌を持ち帰り、やがてノミはユーラシア大草原のマーモット(リスの仲間)についた。
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菌はモンゴルの隊商ルートに沿って齧歯類の巣穴に広がり、はるか西の黒海沿岸まで伝わったと言うのだ。1346年、病気を持ったネズミはクリミア半島のカファ(現在のウクライナのセオドシア)の港から船に乗り、病気はヨーロッパまで広まった。

だが、この説では、インドやエジプトの船乗りが千年前に野生のクマネズミをインドから連れてきたという責任は問われなくなってしまう。さらに言えば、有史以前にエルジニアの菌をアフリカのグレートレークからもたらしたのは誰のせいなのか?
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それぞれの民族が、病気から身を守るための宗教的、文化的風習を持っているのはよく知られている。が、それが初めから病気を防ぐのが目的だったのかどうかは、時間とともに失われていて分からないことが多い。

モンゴルの遊牧民は、マーモットには自分たちの先祖の魂が宿っていると考え、弓矢で射ることはあっても、罠を仕掛けて捕獲することはタブーとしていた、とマクニール博士は言う(ホントぉ?)。それが20世紀に入り、中国からの移民が罠を仕掛けてマーモットを捕り、それが流行につながった。

マレーシアのプランテーションで働く、インドから来たタミル人が、現地のマレー人や同僚の中国人に比べ、マラリアやデング熱にかかる割合が少なかった。これはマレー人が家に水を貯めておく習慣がなかったためと言われている。水溜りは媒介の蚊が孵化する場所となるからだ。
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原因の特定という点では、病気に何の名前が使われるかが最もわかりやすい。世界保健機構(WHO)は、スペイン風邪、香港かぜ、アジアインフルエンザなどのように、民族を表すような名前を使われることがないように懸命に努力していて、豚インフルエンザから"H1N1""A(H1N1)S-O.I.V"に変えるよう各国に指導している(最後の4文字は"swine-origin ifluenza virus"「豚が発生源のインフルエンザウイルス」)。最近では"Pandemic(H1N1)2009"である。

新聞の見出しは、そうした通達には反抗するか、あるいは無視した。

環太平洋保健機構のミルタ・ローゼス博士は、最近のパンデミックで、最初に発生が確認された国や州、都市の名を冠してメキシコインフルエンザ、ベラクルスインフルエンザ、ラグロリアインフルエンザと名づけようとする声があり、彼女はそれに反対した、と語る。

「誰かを悪者にするようなことはせずに、ウイルスそのものに集中するように努めています。それがパニックやよからぬ攻撃を減らすことにもつながります」

ローゼス博士は少女時代、アルゼンチンの小さな町に育った。ある夏、近所の人たちが、ポリオ(灰白脊髄炎)が蔓延したのは都会の住人たちのせいだと言い、地元の警察と交代で道路にバリケードをつくった。首都リオデジャネイロから来るバスを入れないようにするためだった。
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「みんなブエノスアイレスから人を入れたくなかったんです。彼らがポリオを持ってくるって(一理はある。腸に寄生するポリオは夏にピークを迎えるが、都市部の下水管があふれ出すことによって蔓延する場合が多く、それに比べて田舎の屋外便所(いわゆる汲み取り式ボットン便所)が多い地域では発生が少ないのだ)。

「そんなことをしてもダメだとわかったのは大人になってからです。ポリオが止まったのは子供の99%にワクチンを注射したからだった」

病名のネーミングの古い慣習で言えば、1918年のスペイン風邪はカンザスかぜと呼ばれてもいいかもしれない。
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ジョン・M・バリー著『大インフルエンザ:史上最悪の伝染病の物語』によると、最初にはっきりと現れた例はカンザス州のハクセル郡においてだった。感染はすぐにフォート・ライリー(フォートなんとかってのは米軍の駐屯地ね。フォート・マイヤーズとか)に広まり、そこから他の軍事基地にも感染が拡大した。ヨーロッパ各国には海軍の艦船を経由して拡がった。フランス、ドイツ、イギリスは戦時検閲で報道を規制したが、スペインはしなかった。結果、スペインが責めを負うことになったのである。

人類のほとんどの病気は、動物がもとになっている。動物を処分することは公衆衛生上、理にかなっている場合もある(たとえばH5N1鳥インフルエンザの爆発的拡大を防ぐためにニワトリを殺すなど)が、ときとして動物が無意味に「罰をうける」こともある。今年5月、エジプト政府は、少数民族であるコプト派キリスト教徒が飼うブタ数万頭を虐殺した。
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国際社会が、コプト人(古代エジプト人の子孫だと自称する人々)に対する差別だと抗議し、すでにヒトに感染しているのだから医学的に無意味であるにもかかわらず、である。
豚インフルエンザが襲来したときは――最初に感染が確認されたのは12歳のアメリカ人少女だったのだが――エジプト政府はブタを一匹残らず殺すと宣言し、貧しい家庭が隠すブタを見つけ出してはその場で殺したのである。

アフガニスタンでは、カンジールという名の、カブール動物園で人気者だった国内ただ一頭のブタが、それまで一緒に暮らしていたヤギやシカから引き離されて、隔離された。

アジアで鳥インフルエンザが拡がったとき、タイ国政府は、都市部に生息するスキハシコウというコウノトリの仲間の鳥を撃ち殺し、巣をつくっている木を片っ端から切り倒した。スキハシコウからはただの一羽もインフルエンザは見つからなかったのだが。
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伝染病というのは複雑であり、原因を一つに断定するのは意味がない。むしろ原因を他にそらすことが効果的な場合もある。

ペスト大流行のとき、ローマ教皇クレメンス4世は勅令を出し、ユダヤが悪いのではないと宣した。
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もちろん、彼は神を冒涜したわけではない。人間の罪を責めたわけでもない。勅令の真の狙いは、フラゲラント(鞭打苦行派=べんだくぎょうは。世の罪を悔いるため公衆の前で鞭打ち行列をした中世キリスト教の狂信派。『ダビンチ・コード』でこんなヤツ出てきたんじゃないかしら?)をなだめるためであった。
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フラゲラントはしばしば暴徒を率いてユダヤを襲い、腐敗した教会上層部を攻撃したため、異端者とみなされていたのだ。勅令はモンケ・ハーンを責めたのでもなく、エルジニア症の伝染を責めたのでもなかった。「微生物病源説」が発展する500年前の話である。

教皇が標的に選んだのは、復讐のしようがない相手であった。ペストの流行は、火星、木星、土星の並ぶ位置がズレているせいだ、としたのである。
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